2024-01-01から1年間の記事一覧

年くれぬ 笠きて草鞋 はきながら  松尾芭蕉

師走のことばは、松尾芭蕉の俳句です。貞亭元年(1684年)、四十一歳の作。この年、「野ざらし紀行」の旅にでて、ふるさと伊賀へ帰ろうとしている年の暮れによんだ句です。 師走のいつころ、伊賀まではどのくらいの距離をのこして読んだ句なのかは不明だ…

子を養ってまさに父の慈を知る  『臨済録』

子を養って知る父の慈 『臨済録』 花岡博芳著『またまたおうちで禅』が春陽堂書店から十月二十日に発売になりました。「またまた」と名のるからには、二度目なわけです。二〇二一年七月に『おうちで禅』(春陽堂書店)を出版していただきました。時あたかも…

お寺の掲示板のことばは国境を越える  江田智昭

お寺の掲示板のことばは国境を越える 江田智昭 今月のことばは、東京にある仏教伝道協会が主催する「お寺の掲示板大賞」の企画人、江田智昭師の著書『お寺の掲示板入門』(本願寺出版社)にある言葉です。 と、冒頭からわずかな言葉の中で説明しなければなら…

スマホを持つ手に 数珠を持とう

秋彼岸の九月。今月の言葉は八月の言葉の続きです。八月の言葉はというと、「炎天や念珠にぎりて身を支ふ」。作者は越前春生さん。日経新聞俳壇(令和五年八月五日)への投稿句です。頼るものがないと、しのげないような酷暑に、この句の作者は念珠を握りし…

炎天や念珠にぎりて身を支ふ 越前春生

炎天や念珠にぎりて身を支ふ 越前春生 写真 千田完治 八月のことばは、令和五年七月一日付け、つまり昨夏の日経新聞「俳壇」に載っていた俳句です。日経新聞の「俳壇」は短歌の投稿欄「歌壇」と同じページに、毎週土曜日に掲載されます。昨年の夏に紹介すれ…

私は不思議でたまらない、黒い雲からふる雨が、銀にひかっていることが。   金子みすゞ

私(わたし)は不思議でたまらない、黒い雲からふる雨が、銀(ぎん)にひかっていることが。 金子みすゞ 写真 千田完治 金子みすゞさんの「不思議」と題した詩です。みすゞさんは、明治36(1903)年、山口県大津郡仙崎村(今の長門市)に生まれます。20…

濡れながら若者は行く楽しそうに濡れゆくものを若者と言う 永田和宏

前回の「禅にはホームレスの系譜がある」の続きです。 写真 千田完治 ドイツ生まれの青い目の禅僧、ネルケ無方さんは、来日して禅の修行して、続いてホームレス仲間の輪に加わり、一緒に生活しながら、「ホームレスを救済?とんでもない。ホームレスよりも、…

手放してみて、初めてそれに気づくことが出来る   ネルケ無方

手放してみて、初めてそれに気づくことが出来る ネルケ無方著『迷える者の禅修行』(新潮新書)より 風薫る五月。余計なものは手放して、気軽になってみよう。なんて言っちゃって。連休が始まった四月末。かねてから断捨離しなければと思っていた不燃物を整…

諸仏(みほとけ)の世に出つるもありがたし  友松圓諦訳『法句経』182

ひとの生をうくるはかたくやがて死すべきもののいま生命(いのち)あるはありがたし正法(みのり)を耳にするはかたく諸仏(みほとけ)の世に出つるもありがたし 友松圓諦訳『法句経』182 4月8日はお釈迦さまの降誕会です。降誕会とは、「釈尊の誕生を…

花びらは散っても花は散らない

花びらは散っても花は散らない 写真 千田完治 春にふさわい言葉を三月にかかげました。金子大栄(1881~1976)師の言葉らしい。「らしい」と書くのは、またまた孫引きだからです。引用のもとは、松原行樹講演録『心に一輪の花を』(伊勢崎市・玉村町…

始めたことは必ず終わる    田口ランディー

始めたことは必ず終わる 田口ランディー 写真 千田完治 1月のことばは、井原西鶴(1649~93)の『世間胸算用』にあるせりふ「蒔かぬ種は生えぬ」でした。蒔いたら芽がでてどうなるか。運良く育って実がなったら、誰かの腹をみたし、あるいは花を咲かせ…

蒔かぬ種は生えぬ  井原西鶴『世間胸算用』より

蒔かぬ種は生えぬ 井原西鶴『世間胸算用』より 写真 千田完治 旧年の晩秋、ベランダのプランターに小松菜の種をまきました。数年前に購入した古い種だったからでしょうか。3週間たっても芽をだしません。あきらめてプランターをかたづけようとした朝、小さ…