蓮の葉は鏡のように円いというのに、同じ池に育つ水草の菱(ひし)は、実がとげとげしていて、まるで錐(きり)のようだ。 『大慧語録』

朝七時前に、寺の近くのバス停を通りかかった時のことでした。制服を着た女子高生がひとりと出勤の男性がふたり。合わせて三人が、二メートルほどの間隔をあけてバスを待っています。ほとんど等間隔に立っているので整然としています。そのうえ、みんな同じような姿勢で、同じようにスマホを持ってのぞき込んでいるから、整然をとおりこして超然とした風景です。おそらく、それぞれは知り合いでもないし、赤の他人だと思う。
何の関係もない人たちが、同じ格好で同じような画面を指でたたいている。こんなことは、過去の日常では絶対見られなかった景色にちがいありません。
以前だったら(初代アイフォンの発表が2007年だというからそれ以前)、ひとりは新聞紙をひろげて、ひとりは参考書を持って、もうひとりはボッーとしてあくびをしている。そんな光景があったはずです。
さて、今月の言葉は中国は宋の時代の禅僧・大慧禅師(だいえ=一〇八九~一一六三)の言葉を集めた『大慧語録』に収められています。原文の読みくだし文は「荷葉(かよう)団団(だんだん)として団(まる)きこと鏡に似たり。菱角(りょうかく)尖尖(せんせん)として尖(するど)きこと錐(きり)に似たり」
冒頭にかかげたのは私の現代語訳です。毎度お世話になっている白川静『常用字解』(平凡社)によれば、「荷」は「草の名としては蓮をいう」とあるから、荷葉で蓮の葉。これは、目にイメージを結ぶことができるのですが、菱(ひし)がわからない。『角川・俳句歳時記』は、「菱の実」を秋の季語として次のように説明してくれます。
「菱は池や沼に生える一年草。夏に白色の四弁花を水面に開き、花後結ぶ実は菱形で、左右に二個の角がある。若いうちは生で食べられるが、熟しすぎたものは茹でたり蒸したりして食べる」
無教養無粋者で、菱なるものを見たことも食べたこともありません。一度、お目にかかってみたいものですが、今月の言葉の意味をもう少しかみ砕いてみると、同じ環境にあっても、円い蓮の葉が育ち、とがった実を結ぶ植物も生い茂る。同じように人にはそれぞれの個性があるのだから、異なる気質を大事にしなくては!
禅には、「それぞれの個性を大事にしなさい」という言葉は多いのです。いくつか例をあげてみます。「鶏寒くして樹に上り 鴨寒くして水に下る」とか、「一樹の春風両般有り、南枝は暖に向かい、北枝は寒」などなど。なんて禅語をひっぱってきて、坊さんは知ったかぶりして、いやだねー。そんな難しい言葉を使わなくても、金子みすゞの「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」でじゅうぶんではないか。
それにしても、みんなちがわないで猫背になってスマホをのぞく現代の風景は悲しいな。と思うのです。





